「武士道」と一神教

長期の入院期間を利用して幾冊かの本を読みなおしている。その中で新渡戸稲造「武士道」初版の序文に面白い記述を発見した。ベルギーの法学者ド・ラブレー氏との会話で日本の学校は宗教教育を行わないことを知って「宗教教育を行わずどうやって道徳を教育するのか」とラブレー氏に驚かれた。それをきっかけに日本の道徳の根幹である武士道を紹介する本を執筆したという。
そう言われると一神教の「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」はいずれも道徳が柱になっている。三つの一神教の嚆矢であるユダヤ教はモーゼが神から授かった「十戒」が始点と言える。十戒は 1. 神が唯一の神であること、 2. 偶像を作ってはならない、 3. 神の名をみだりに唱えてはならない、 4. 安息日を守ること、 5.父母を敬うこと、 6.汝殺すなかれ、 7.汝姦淫するなかれ、8.汝盗むなかれ、 9.隣人について偽証するなかれ、 10. 隣人の財産をむさぼるなかれ、である。10項中の6項は道徳そのものである。
旧約聖書は「出エジプト記」から始まるが何故多くのユダヤ人がエジプトに居たのか。ヴェルディ作曲の歌劇「ナブコ・ドニソール」で知られるようにバビロンにもユダヤ人が多数幽閉された。エジプトとシリアで戦争が起こると両軍の通過路上のイスラエルはその都度蹂躙された。ある本(著者、書名等は失念。安田徳太郎だったか?)にイスラエルは半乾燥地帯のため生産性が低い牧畜しかできず食料不足から人口を増やせなかった。したがって国力を高めるには一人一人の質を高めるしか方法はなかった。「規律」すなわち道徳がその手段として必要だったと述べている。つまり、ユダヤ人が生き延びる手段としてユダヤ教が利用されたとも考えられる。その成果やいかに。エジプトとシリアの勢力が共に衰えたとき、イスラエルにダビデ王などによる王国が発展した。この体験はユダヤ人やユダヤ教に強固な自信を持たせたに違いない。
キリスト教も、最後の審判の際に規範を守った人は天国へ、そうでない人は地獄に落とされると言う「脅し」で道徳を守らせる、ユダヤ教の仕掛けは引き継がれた。キリスト教が道徳をどのように活用したか私にははっきりとはわからない。塩野七生の「ローマ人の物語」第14巻の「キリストの勝利」を読んでもピンとは来なかった。しかし、まあ、道徳面ではギリシャローマの多神教よりは遥かにしっかりしていたので、ローマ帝国内部の退廃とゲルマン人の侵入への対抗が必要となった時代、道徳が布教の武器に成ったのかもしれない。
「イスラム教」は大商人だったマホメットが道徳の退廃を防止すべく生み出したと言われる。女房どもが不倫しまくっていたら配下の商人たちはキャラバンに出かけられないでしょ。マホメットは人々に守らせたい規律を「神の言葉」とし、さらにそれを山上で授かる点までモーゼを見習い、守る人は天国へ、守らない人は地獄へ、という仕掛けまでちゃっかり頂いている。
繰り返すと、3つの宗教は道徳を守らせることを目的として神のお告げ、予言を利用した点が共通だ。したがって三宗教ともそれぞれの教義に沿った道徳教育が不可欠なのだ。しかし、道徳は時代とともに変化する。テレビ、自動車、スマホがなかった時代と今では変わらざるを得ない。それ以上に避妊技術の進歩は性道徳を大きく変えたはずだ。しかし、このような道徳の変化を認めず「原点に返れ」と叫ぶ原理主義者は三宗教ともに存在する。道徳を最大のよりどころとする一神教の故に原理主義者が現れるのは必然の現象だ。
その点、大乗仏教は別のやり方をしている。中国、韓国、日本は「霊」の問題を仏教に道徳を儒教や道教などと役割を分担させている。これはうまいやり方だ。時代とともに道徳が役立たなくなったら儒教の衣だけ脱ぎかえれば仏教の尊さは保たれる。だから原理主義は現れない。山本七平が「新薬聖書」と言ったのはキリスト教の道徳の部分だけを日本人がちゃっかりと利用していることを評したのではないか。時代時代に適するように道徳も変えつつあるのでは。日本では武家時代から150年以上経た今日、儒教色が少し薄まり、自然畏敬の比率が増えつつあるような気がする。
「武士道」を読んでこのような感想を持ったのでご紹介しました。

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