独特の発展を遂げた日本の弓道

「弓と禅」の文章で日本弓道は精神修養の手段として高められていることを述べた。しかし、それは江戸時代以後のことであり、戦国時代まではやはり、戦闘手段として発達した。

日本の弓の特徴は、世界最大(210センチ強)、世界最強、そして握り(弓を押す位置)が中央でなく、下よりであることの3点だ。最後の点は発射後の振動が最も小さくなる位置が選ばれた結果で、驚いたことに写真のように銅鐸の時代から採用されている。
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ヨーロッパの歴史を眺めると、防御力が高い楯を使用していたギリシャローマ時代は武器とし弓は軽視されていた。ロビンフッドの時代になってようやく鎧の防御力に対抗できる弓が使われるようになり、イギリスがアジャンクールの戦い(1415年)で6フィート(180センチ)の弓を装備したイングランド長弓隊フランスの装甲騎士団を打ち破る戦果を挙げた。しかし、その後はクロスボウ(弩)、さらには銃の出現で表舞台から退いた。

日本の弓は奈良時代の初めころ、森の木立から弓を射かけてくるアイヌのゲリラ戦に対抗するため射程距離が長い、大きく、強い弓が使われるようになったと言われている。正倉院に保管されている101張り弓の平均長さは214センチで、現在のものとほぼ同一だ。これらは梓(あずさ)、槻(つき)、檀(まゆみ)、榧(かや)などの丸木造りだと言う。これらの弾力のある木を利用した強力なものだった。

「弓矢取る家柄」と言う言葉からもわかるように、長い間、弓は武士の主な兵術だった。弓の強さは「二人張り」とか「三人張り」と言う漠然とした表現で、具体的な張力は不明だ。学生時代に淡路島の旧家で江戸時代の軍弓を触らせてもらったことが有るが、40㎏を引き絞れた私がこの弓を半分も引き絞れなかった。大まかに引いた長さの自乗に比例すると考えられるから、およそ160㎏の張力になる。これだけ強力な弓を使いこなすには相当な習練が必要だったはずで足軽などには到底使いこなせない。
蛇足だが、ロビンフッドの弓の張力は(伝説上)150ポンドと言われているからその2倍以上だ。

興味深いことに、戦国時代後期に火縄銃が導入された後も使い続けられた。弓と銃を併用した次のような戦法が採られていたと言う。
両軍が200メートルまで接近すると相手軍の雑兵をひるませるため、最初は弓を山なりに射かける。銃弾と違って飛来する矢は目に見えるから脅しの効果が高い。
当時の火縄銃は最大有効射程が200メートル、発射間隔が2分程度だったから、敵が100メートル以内に接近してから一斉射撃をした。その後は貴重品だった火縄銃が敵に奪われないように銃兵を後退させた。
敵が50メートル以内に近づくと弓を射始める1秒に1発は撃てたから敵軍が眼前に到達するまでに5発以上撃てたはずだ。次に、槍隊を繰り出して白兵戦に持ち込むと、今度は味方の槍と槍の間から目前の敵を撃つ。
このように、火縄銃の時代にも十分、有効に利用されたそうだ。

しかし、銃の数か増えた「長篠の戦」以後は活躍の場が急速に減少した。秀吉の「小田原攻め」のとき、小田原城内から、300メートルほど離れた徳川家康の本陣に向けて射掛け、家康の本陣を後退させた事実が小田原城展示室に示されている程度だ。「関ヶ原の戦い」や「大阪冬の陣」「夏の陣」では使われなかったのではないだろうか。

しかし、平和な江戸時代になると武士の精神鍛錬の手段として復活するという、「幸せな」発展を遂げ、現在に至っている。

一つのものを大事に、しかも徹底的に使いこなすという日本人の性格の象徴のような歴史だ。


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